大潟の地形と、歴史、伝統文化など

大潟町の地形としては、東側は紀伊水道に面した海岸の防風林と小高い山地、北側は矢剣山などの小高い山なみを背にして冬の北風を防げる形になっている。一方、南側には天然の良港大潟湾が眼前に広がっており、その湾を囲み守る形で無人島の長島と鵜渡島が存在している。

海に面しているため、大潟地区は古来から漁業が盛んな所であった。江戸時代から昭和にかけて漁業に加え海運業も発達し町には活気がみなぎり、歌声はずむ大潟小学校はもとより、近代的な造船所、広大な製塩所、街には演劇館ならびに、その一座が宿泊する旅館までもがありました。 

今も、風光明美な大潟湾の風景には変わりなく、朝から漁に出る漁船のエンジン音は勇ましく響いています。また、諏訪神社の秋祭りや神の踊り、地域一斉清掃行事、地域をあげての活発なあいさつと助け合いの気風など、先輩の方々が築いてきた地域の伝統と文化は、コミニュティを支える若者を中心として脈々と継承されています。平成8年に大潟分校がなくなってからは1年生から本校(見能林小学校)に行くようになりましたが、見能林小学校は大潟からはそう遠くはないので高学年の子を先頭にして1年生までみんなで一緒に元気はつらつと通学されています。

休憩コーナー

ふるさとの唱歌は こちら

大潟と言えば、まっさきに浮かぶのは「あこめ」海岸である。いつ行っても波の音が出迎えてくれるし、波打ち際に近づくと潮の香りが懐かしい。

幼児のころからここで泳いで遊んだ、海水を不意に呑み込み、むせて息が止まり、苦しくなり、声も出せずどうすれば良いのかわからなくなり、とにかく砂浜にあがろうとした。

それでも不思議なことに、必死になって空気を吸おうともがいていたら、徐々に息ができるようになった。ふらふらと熱い砂の上を歩いたら、頭の上で蝉が笑っていた。