あこめの浜
子供のころ、ここで数少ない友達と泳いで遊んだことを思い出す。あこめには、今でも大きな浜辺と小さな浜辺がある、そしてその浜と浜の間には、巨大な岩がまるで二つの浜の支配者のように、そびえ立っているのである。今でも、あこめに行ってみると、松のこずえを渡る風のささやき、脳幹を刺激する松脂の匂いが、はるかなる祖先の遺伝子をくすぐるのであろうか、私は言い表しようのない感動に包まれるのであった。
「りんごんさん」の由来(推定)
「りんごんさん」は、あこめの浜にある神社の愛称である。推定ではあるが「龍宮神社」が正式名で愛称が「りんごんさん」になったものと思われる。今となってはこの神社の史実を知るのは困難だが、その祭り行事は伝統文化となって今もしっかりと根付き守られている。
りんごんさんは、大潟村の守り神であったのは間違いないと思われる。ちなみに「龍宮神社」は日本各地の漁村に今なお点在しており、共通点は浦島太郎伝説の乙姫様をご祭神としている点である。
ここからは推定であるが、昔から西日本沿岸は50~150年ごとにやってくる巨大津波(今でいう南海地震による津波)で、都度、甚大な被害を受けてきた。例えば、江戸時代の宝永4年の南海地震による津波。そこで、時の村長が中心となり、村の未来の津波を予想して、子孫を守るため村の裏山(矢剣山)などの高所を避難場所として整備し伝えおいたところ、実際に57年後(嘉永7年) に発生した安政南海地震で村民は伝え聞いていたそれぞれの高場に避難でき無事だった。そこで、時の村民が、これは龍宮さんのお蔭と察っし一致協力して「りんごんさん」を敬い、祭りを開始したのではないかと思われる。