臨海学習

小学校4年生からは、見能林小学校(本校)に登校するようになったが、そこでは夏休み前に1日だけの臨海学習があり、そこは、学校から東へ1km歩いての北の脇海水浴場だった。臨海学習と言っても特別な泳ぎ方を学ぶわけでもなく、付き添いの先生方が見守っている前で自由に泳ぐということであり、基本的には海に親しむ学習ということだった。

弁当・お茶は各自が持参

弁当は母が作ってくれたおにぎりであった。戦後はコメは配給制であり、不足していたので各家庭ともに、さつまいもを食べたり、麦を混ぜたりして飢えをしのいでいた。であるが母は、子供の弁当にはコメを使用してくれていた。当時はあたりまえのように私は思っていたが、今思うと子供を送り出した後の母はひっそりと家で冷えた麦ごはんを食べていたのだと思う。

畑仕事に勤しんだ

家には100㎡くらいの畑があったので野菜を栽培していた。私は小学校1年生くらいから母の指導の下で黙々と畑を耕していた。それについては別に辛いとか苦しいとか思ったことは一度もなかった。その体験が定年後の私にとって大いに役立っている。レンタルの家庭菜園(50㎡)での耕作は私が担当できているのだ。