データーロガーとの出会い

昭和44年(1969年)私は会社で初のデーターロガー(コンピューターによるプラントデーター処理機)の建設業務担当を命じられた。それは、今から46年前(26歳)のことであった。もちろんコンピュータなど見たこともなかったが、不思議なことに膨大な設計書類を1年くらい眺めていたらなんとなく分かってきたのだった。

そして、日立市にある製作所での実習を命じられて後はこのシステムのハードウエアとソフトウエアがある程度理解できるまでになっていたのだった。

納豆との出会い

その日立出張時に、宿舎で生まれて初めて納豆を食べた。美味いとは思わなかったが、健康的には良い食品みたいだと、本能的に感じた。

1週間の出張も、入社後はじめてのことだったので、今でも納豆のことはよく覚えている。

当時は「0型」新幹線の時代でした

現在の東海道新幹線の最高速度は285km/hだが、40年以上前は200km/hでした。それでも当時の新幹線は世界最高水準だったのです。