昭和南海地震

昭和21年12月21日午前4時19分過ぎに、昭和南海地震(M8)が発生し、西日本沿岸に津波が来襲した。当時2歳の私は母に手を引かれて家族とともに裏山の矢剣山に避難した。幼少だったこともあり記憶は薄らいでいるが、確かに急こう配の山道を必死で登った記憶がある、

矢剣山(やつるぎさん)

大潟町にある標高は20~30mくらいの山だが、付近の住民にとっては重要な山となっている。過去数度の津波経験から大潟村では津波発生時には、ただちに直近の高場に逃げるようそれぞれ祖先からの申し伝えが徹底されている。私の家では近くにある矢剣山がそれに該当する避難場所となっていた。

先人の知恵(推察)

「矢剣山」は、昔の大潟村の有志が「将来の津波突発時に子孫を守れる」ようにするため、高所に広場を設けただけでなく、その重要性を継承してゆくために住民が当番制で運営する「矢剣神社」を設置したものと見られる。

その継承が効果的に行われるには「矢剣神社」が、子供たちに親しまれるようにということで、奉納子供相撲大会が例年行われるよう考えられたと思われる。