大潟分校の思い出
私はもとより私の長男もかっての大潟分校に通学しました。大潟分校は私たちだけでなく多くの方々の人生の原点になっていると思われます。
初夏には生垣のジャケチの花が咲いて良い香りがしました。勉強をしていたら窓からツバメが飛び込んできました。
運動会では、大潟村のみなさんが集まり、区対抗リレーでは大声援がこだましました。
冬には暖房のない教室で授業していましたが、同級生の熱気で寒さを感じませんでした。
3年生の終業時には校舎の南側に並んで記念写真を撮りました。
大潟分校119年の歩み
大潟分校の校舎は明治12年に創設されました。ということは明治8年に生まれた私の祖母や、明治41年に生まれた私の父も大潟分校に通学していたことになります。
推定では廃校になるまでに約3000人の方がここを通過していったことになります。
時代の流れとはいえ廃校という寂しさは拭うことができませんが、その思い出は尽きることはありません。ありがとう大潟分校、私の人生の原点であることに変わりはありません。