俳句と連想 - 秋

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 はじめに

このWEBページでは日本人の俳句を紹介しつつ、その俳句から私なりに連想したことを散文にして添えてあります。画面の下に並んでいる 俳句の一つを選んで(マウスポインタをあてて)クリックするとイメージと散文が出てきます。よろしければお試しください。

なお、イメージは自分の写真だけでは限界がありましたので、申し訳ございませんが、一部の写真はネットからお借りしました。

1 今日からは日本の雁ぞ楽に寝よ       小林一茶

出典:株番  年代:文化九年(1812年:一茶49才位)
 もう日本の領土だ、今日からは日本の雁(かり)になったのだ。安心して寝るがいい、の意味。 青森県津軽湾沿岸の外ヶ浜での句

 一茶の人柄が忍ばれる句である。普通の人なら「雁が飛んでら~秋らしいね~」くらいにしか 思えないが、一茶は「遠い異国から無事によくきたね」と感動しつつ「今日からは日本の雁ぞ楽に寝よ」といたわっている。これを見て私は一茶という人は、繊細なだけでなく、雄大な心をも持っていたのだなと感じたのである。
                                      (はるか)

2 荒海や佐渡に横たふ天の河         松尾芭蕉

出典:おくのほそ道  年代:元禄2年(1689年:芭蕉45才)
   荒海の彼方に佐渡島が見える。ふと空を仰ぐと冴え冴えとした天の川が横たわっていた。

 昔、私は銅山が峰の山小屋に泊まったことがある。その夜、外に出てみると今まで見たことのない「すさまじい星空」を見たのであった。無数の星々が手に取るように近くに見えるだけでなく、頭の中では音を期待しているのに、まったく音がしない、宇宙とはこんな世界なのだ、その中で「天の川」はまさしく悠然と横たわっていた。                                   
                                      (はるか)

3 草ごもる鳥の眼とあふ白露かな       鷲谷七菜子

松山市内から15km東に津吉町という田園地域がある。そこの一角にある小さなレンタル式菜園を借りて野菜を作っている。9月も終わりころになると早朝の野菜や草の葉にはびっしりと露が宿っている。特に、畑の水源となっている池の周りの土手の草の葉の白露は顕著である。

降雨が少なくても草たちが元気に生きていけるのはこの露のおかげである。畑の隅には誰が植えたのかコスモスの花が咲いている。周りの草より背丈が高いのでよく目立つ、根元には他の草たちが露をはらんで地面もほどよく湿っている。コスモスが生きていけるのも草たちのおかげかもしれない。

                                     (はるか)

4 不知火に酔余の杯をなげうたん       日野草城

熊本県には、不知火(しらぬい)町という所がある、昔のことじゃった、旧暦8月1日になると、八代海の沖合はるかに不知火が出るといわれてきた。それを見ようと村々から人がやってくる。場所は海に面した小高い場所にある「えいのう神社」、始めは一つか二つ、「親火(おやび)」と呼ばれる火が出現する。それが左右に分かれて数を増やしていく。なお、不知火は見える時と、見えない時があるので昔の人は怪奇現象と見ていた。

不知火は科学的には漁火等の蜃気楼(しんきろう)である。蜃気楼は大気中で光が屈折し虚像が見える自然現象。気温や風などの条件が整わないと発生しない。しらぬいという言葉のひびきがたまらなく好きだ、はるかなる古代のロマンを秘めているからである。
                                      (はるか)

5 奈良坂の葛狂ほしき野分かな        阿波野青畝

野分は日本の「歳時記」に記載されている俳句用語の一つ、手短にいうと「野の草を分けて吹く強い風」という意味である。子供のころ、学校からの帰り道、歩きながら田んぼの稲が風で揺れる様子を漠然と見ていた、それは一斉に揺れるのではなく、遠方から筋になって波のようにうねりながら、強くあるいは弱く次から次へと気ままに押し寄せてきては過ぎ去ってゆく姿であった。

写真はそれとはまったく関係がない、日本最西端の与那国島の草原に放し飼いされた馬、大草原で悠々と草を食べている風景、与那国島は年中比較的強い風が吹く島である。2015/09/27強烈な台風21号が与那国島を襲い大きな被害が出たという、あの馬たちはどうなったのか心配である。

                                     (はるか)

6 颱風の雲しんしんと月をつつむ       大野林火

 思い出、 子供のころ台風が来るとラジオがいうのを聞いたらわくわくした。そして、ひそかな期待をいだきながら大潟の山を越えて見能林小学校へ行ったら、先生から「みなさん、大きな台風が来よるけんな、今日はお休みになりました、気を付けて早くお帰りなさい」といわれたのであった。やったあ~予感的中!うきうきしながら、一列になって家路についた子供たちの上空を黒くもが向かいの島からどんどん押し寄せてきてはちぎれ飛ぶように北の方に流れていた。そして、時折サーッと雨も落ちてくるのだった。ようやく家にたどりつくころには、北の脇の方から風も吹いてきて、やがて轟音と共に猛烈な暴風がおそいかかり、古い木造の小さな家はグラグラ揺れて今にも家ごと吹き飛ばされるのではないかと子供ながら肝を冷やした。そして、こやみになった時を見計らって母と一緒に隣の鍛冶屋さん宅に避難したりしていたのだった。
                                      (はるか)

7 稲の香にむせぶ仏の野に立てり       水原秋桜子

少年時代、学校からの帰り道、見能方や林埼の路の両横は田んぼだった。初夏には一面に蓮華の花が咲き乱れ、夏休みもとっくに終わり、秋も深まると金色の稲が実りその香りが充満していた。

子供だった私は、毎年繰り広げられるそのような風景をあたりまえのように思っていたので当時は何とも思わなかったが、70歳を越えたまにふるさとの墓参り等で帰省したような時に、田んぼの傍を歩いてみると、あのときの生暖かい田んぼの泥の匂いだけでなく、なぜかむせぶような強烈な稲の香りに出会うと自分でも信じられないほど田んぼを懐かしく感じてしまうのだった。

                                      (はるか)

8 つきぬけて天上の紺曼珠沙華        山口誓子

この花をはじめて見たのは小学校2年生の時だった。家の生垣(まきの樹)の下に一つだけ咲いていたのだ。いったいどうしてこんなところにこんな花が咲いたのか不思議だったが、それよりなによりその花の姿に子供ながらもなんとなく綺麗ではあるが少々不気味さを感じたのであった。

 4年生になって大潟分校を離れ、見能方の本校に通うようになった。その通学路、うてび川の橋を渡りほどなく行くと両脇にぼつぼつと松の並木が植えられていた。そして、秋祭りも近づいたころ、その木の根元の草むらの下から突然、あの蕾みがどんどん力強く伸びてきて開き始めたのである。その数は数えきれないほどで、赤く輝くその姿に少年は歩みをとめしばし見入っていたのだった。
                                     (はるか)

9 しなやかにハイビスカスはよみがえる    伊予路はるか

これほど強靭な植物に出会ったことはない、強風で葉が吹き飛ばされるどころか根こそぎ倒されても、深紅の花を次々と咲かせるのである。

そんな彼でもさすがに参ってしまう時がある。水分と栄養が途絶えると一枚、また一枚と葉を黄色く染めて落としてゆくのである。それは彼の責任ではない、管理人がずさんだからである。

週に一度は栄養を与え、水を毎日補給してやれば、どんどん枝を伸ばしてくる。ところが華麗かつ華美なこの花が朝咲いて夕方には萎み、翌朝には落下することは案外と知られていない。
                                       (はるか)

10 銀杏散るまっただ中に法科あり       山口青郵

2014/11/27
 道後公園の銀杏の巨木の黄葉がある日、一瞬にしてバラバラと音をたてて散ってくるさまに出会った人はあまり居ないであろう。 我々「一味ちがう自然ウオッチング」メンバーは、まさにこの日その一瞬に遭遇したのであった。それはロマンチックというより、老人でさえたじろぐほど感動的なできごとであった。  それにしても、メンバーの女性たちの中にそのような心揺さぶる体験をしたというのに、反応を示す人が一人もいなかった。あらためて、昔の優等生でも「年を重ねると、乙女心はどこへやらになってしまうんだね」と思ったのであった。だって昔は女の子は「箸が転げても笑い転げていたのにな~」、でも集まって何か言ってるよ、お~いどうしたんだい。

                                    (はるか)

11 名月や踊り場の石に温みあり        伊予路はるか 

2015/09/27
 今年の中秋の名月は好天気に恵まれた。清水小学校の校庭上に大きな顔を出したのを見つけ、すぐにマンション最上階へと駆け上ったのであった。
 こんなに悠々と中秋の名月を撮影したのは今まであまりなかったように思う。東京では孫たちが購入したばかりの天体望遠鏡でわいわいいいながら観測していることだろうと思いつつ私と妻は6階の階段の踊り場に陣取り、デジタルカメラの倍率を最大にして自動モードで撮影した。

                                    (はるか)

12 山彦のわれを呼ぶなり夕紅葉        臼田亜浪 

松山市内(御幸)にある護国神社 は紅葉の名所で11月の終わりころに見ごろとなる。

ここには、先の大戦で犠牲となった愛媛県出身の英霊の慰霊碑が建立されており、紅葉は慰霊のために戦後に植えられたものである。現在の平和はその時代の数百万人の若者の犠牲によって築かれたものであることを私たちは忘れてはならない。

戦後70年となり、戦争を知らない世代が社会を支えている現在、憲法違反の安保法が国会で成立するなど、許せない事態が生じ日本の未来が危ぶまれている。このような政治の暴挙を見過ごしてはならない、気たるべき来夏の参議院選挙では自民党の独走を絶対に許してはならない。

                                     (はるか)

13 釣瓶落としといへど光芒しづかなり     水原秋桜子 

秋の夕暮れは早い、分かっていても急に日が落ちる。人生もまた同じである、昨日まで話していた人が急にぱたりといなくなる。 日はまた昇るが、人はほとんどの人が帰ってこない。ここで、ほとんどの人がと書いたのは、たまに死んだと思っても奇跡的に生き返る人がいるからだ。こういうことをいうとそんな馬鹿なと思うのが普通であろう。しかし、私と妻は急病で一度死にかけたのに入院し手術が成功し生き返ったのである。その病気でたいした後遺症もなく回復する確率は極めて少ないというからまさに私たち二人は奇跡の人であったとしか思えない。

釣瓶落としとは俳句用語(季語)で、手短に言えば秋の夕暮れがまるで井戸に釣瓶を落とした時のようにあっけなく早いという意味である。

14 ことごとくつゆくさ咲きて狐雨       飯田蛇笏 

つゆ草は日本全土に自生している野草である。生命力は旺盛であるが、花は朝咲いて昼にはしぼむので平安時代からその儚さを歌った句が多い、昔は月草と呼ばれていたので万葉集に出てくることばも月草と記されている。

私がこの花の美しさに惹かれるようになったのは60歳を過ぎてからだった。このように澄んだ青色の花は他に見られないし、他の花は複雑な形をしているのに比べると極めて単調であるにもかかわらず可愛い形をしている。毎日次から次へと新たな花が咲くのだが、そういう事実を知らない人がたいはんである。
                                        (はるか)

15 しづけさを水に拡げて木の実落つ      岡本まち子 

城山の道を歩いていたら時々「ぽつーん」という音が聞こえる。クヌギの実が坂道に落ちた時の音である。山歩きをしながら耳を澄ませてみると実に様々な音が聞こえる。風が木の葉をゆする音、のんびりと鳴くカラスの鳴き声、カサカサと落ち葉を踏む自分の足元の音、そのような音を聞いていると何もかも忘れて自分が透明人間のように秋の空中に溶け込んでいくような気がする。

                                      (はるか)

俳句(の季語)では昔からどんぐりなど、雑木の実を総称して木の実という。

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