俳句と連想 - 冬
← Return to top page. ← Return to before page. Go to next page. →私の育った村は、北側に山があり冬でも小春日和みたいな日が多かったので、分校への通学は素足で下駄をはいて通っていた。ある日、村は突然大雪に見舞われたが、7歳の私は村に雪がちらつくのを見たことはあったが積もったのは見たこともなかった、いつものように素足で下駄をはいて家をでたところ、途中で雪が吹き溜まりになっていたのか、下駄が埋もれてしまって動けなくなってしまいもがいていたら足がちぎれそうなくらい痛くなってきて、わんわん泣き出してしまったのであった。で、不思議なことにそれから後の記憶がない・・・、推定では、店(みのさん)の前だったので店のおばさんが気付いて私を助け、背負って学校へ連れて行ってくださったのではないかと思う。
(はるか)
真冬でも庭に咲く赤い花は山茶花と椿くらいである。なので、この樹を生垣にしている家は多い、そういう家の前を通るとなぜか和やかな気分になる。
高齢化が進み、地域によっては空き家が増えてきて、山茶花が留守を守っているところもある。それでも、定期的に家族が帰ってきて剪定したり、シルバー人材センターに依頼したりして、きちんと管理している家も多々あるので空き家が全て悪いという風に考えてはいけないと思う。
(はるか)
50年以上昔のことだが、晩秋から初冬にかけて深夜の干潮時合を見計らって、弟と一緒に灯りをともし、ふるさと大潟湾の蟹(ガザミ)を捕りに行ったことがある。天気が良くて風のない夜には風波がないので、カーバイトランプで海面を照らせば海底にいる夜行性の蟹の様子を見ることができ、それを長尺のヤスリで突いて捕獲するのであった。
根こそぎ捕獲したりせず、数匹とったらあとは次回のお楽しみとしていたのと、そういう漁をするのは私達兄弟だけであったので毎年同じ時期に楽しむことができた。その弟は17年前に亡くなってしまい、私も転勤したりしたので大潟湾での蟹とりは今でははるか昔の思い出となってしまった。
(はるか)
毎年10月7日、朝5時半から、道後温泉駅前広場に8体の神輿が集結し、広場をとりまく観衆の面前で2体ずつ進み出て左右に分れ、「もってこい!、もってこい!」と声をかけあい、気合があったところで「双方が走り寄りドカンとぶっつけあう」、観衆は手をたたいてその勇気を称える。これが道後の喧嘩神輿だ。それぞれの神輿が一回ずつだから観衆の前で4回見れるはこびだ。(なお、担ぎ手にけが人が出ないよう一か月前からそれぞれの神輿ごとに、厳密な練習を重ねてきているので安全は確保されている。)
やがて、喧嘩神輿の熱気も去り、「また来年も見たい」と名残を惜しみつつ観衆は路地にはいり家路につくと、今年もまたどこからともなく匂う金木犀の香りに包まれるのであった。
他の昆虫がすっかり姿を消したのに11月ころでもふと思いがけないところで赤蜻蛉を見かける。単独で草の穂に止まったりしているので、赤蜻蛉の句には淋しさ、悲しさを込めた句が多い。
秋彼岸に、あこめ海岸へ通じる道を歩いていると防波堤の上にアキアカネがポツンと一匹とまっているのを見たことがある。付近にはトンボが育ちそうな田んぼや川はないのになぜこんなところにいるのか不思議であった、その後、アキアカネの生態を調べたら成虫の寿命は約半年、行動範囲は数百kmに及ぶと分かり納得できた。つまり5月に生まれると11月まで生きているのである。
(はるか)
実家には「牡蠣打ち」という鉄製の先が尖った古い道具があった。父母がそれを使っているのを見たことがないから、たぶん、先祖伝来の道具であったのだろう。先祖が大潟湾で防波堤の根石についている天然の岩牡蠣を打って捕食していた様子を想像すると実に愉快である。
私は5歳の時に既に裸足で干潟に立ち込みチョロチョロと遊んでいた。まだ「牡蠣打ち」は使ったことはなかったが、「はまぐり掻き」という可愛らしい道具を誰に教わることもなく既に使っていた。後で知ったがこの道具も先祖伝来のものであったらしい。
(はるか)
獅子舞は悪魔の退散と、家内安全を祈願するための昔からの正月踊りである。特に子供の健康を願って獅子に噛んでもらうと効果があると信じられている。実際にやってもらおうとすると幼児が泣き出して大騒ぎになるのが普通であるが、大人たちもちゃんと心得ていて上手に子供をあやすのであった。獅子舞は、まことに微笑ましい日本古来の文化なのである。
(はるか)
この俳句は読む人の感性によって多少違ってくるように作られている。俳句には、そのようにほんわかと真理をオブラートで包み込み、まるで、なぞなぞみたいに作られるものもあるが、それは単なる手法であってそれが全てではない。 例えば「古池や蛙(かわず)飛び込む水の音」や、「柿食えば鐘がなるなり法隆寺」のように万人が直ちに思い浮かべられる名句もあるのだ。
気象は時々刻々と変わっていく、文明の発達により天気予報は正確になってきたが、気象を変えることはできない、昨日の空も今日の空も見上げることはできるが、同じようで同じではない、それでも天気が良ければいかのぼり(凧)をあげることはできる。
(はるか)
竹馬などまだあったのか、と思うのは高齢者だろう。現在でもところどころで楽しまれているらしいのだ。例えばこのような運動会での使用は珍しいかもしれないがその竹馬が立派に伝承されている証拠である。
青くて深い壮大な海原、どこまでも続いているように見えるジャングルや砂漠、そこに生息するあらゆる生き物を乗せて宇宙船地球号は今もとどまることなく飛び続けている。遠い未来、やがて訪れるであろう太陽系の最後など誰も考えもせずに・・・。
(はるか)
遠くを走る貨物列車の音が響きながら近づき、鋭く短い汽笛を残してあっというまに遠ざかっていってしまった。流れ星が流れた後の星々はまばたきもせずひたすら輝いていた。
(はるか)