俳句と連想 - 春

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21 春や昔十五万石の城下かな          正岡子規

子供のころから桜が好きだった。じっと眺めると自然に心がうきうきしてくる。松山は桜の名所が多い、遠くに出かけなくても近くで花見ができるようになっている。そのため、近所の公園で家族連れでの花見がむかしから盛んである。松山で最も有名な桜の名所はいうまでもなく「松山城」であり、最近では海外からも観光客が訪れるようになっている。

うたゝ寝の顔に桜の雫かな     正岡子規

                                      (はるか)

 

22 春の海終日(ひねもす)のたりのたりかな   与謝蕪村

2014/03/24

ふと思いつき、私はフェリーに自転車を乗せて興居島へ渡った。
フェリーは15分で島の由良港に入港、天気は快晴だった、気ままなサイクリング旅なので時間のことはあまり気に留めず島を周回することにした。島にはいたるところに柑橘類を栽培する畑が見られた。ビニールハウスも多数あるので年間を通じて栽培しているようであった。小学校の前を通ると、窓から「蛍のひかり」の歌声が聞こえていた。卒業式だったのだろうか。
 備考:興居島(ごごしま)とは、瀬戸内海に浮かぶ松山港の沖合いの有人島。面積8.49平方キロメートル、人口は1127人(2015年3月現在)、世帯数は586数(2015年3月現在)。行政区画としては全島松山市に属する。

23 闇の夜は鼻で探るや梅の花          正岡子規

松山市の城山公園堀端遊歩道には白梅が植えられており、2月から3月にかけて開花するのでその香りを楽しむことができる。一方、園内には芝生広場が整備されており、通路は広く自転車通行もできるし、犬の同伴散歩も許可されているので人気のある公園となっている。 近年、市が管理している白鳥が子供を誕生させ、その愛らしい様子が地元のテレビでも紹介されて話題となった。
                                       (はるか)

 

24 行く春を近江の人と惜しみける        松尾芭蕉

人生にはかならず出会いと別れがある。春は特にそういう機会が多い、子供のころは先輩たちの卒業式で「蛍の光」を歌うたびに寂しさを感じたものである。中学校を自分が卒業する時の「仰げば尊し」を歌ったときは目頭が熱くなった記憶が今でも鮮明に残っている。

日本には四季があり巡り巡ってくるので若いうちはあれもしよう、これもしようと情熱的に過ごすことができるが、歳をとってくるとそういうことも少なくなり、行く春を惜しむ芭蕉の心境に近くなってくるのであろうか。

                                      (はるか)

25 雪とけて村いっぱいの子どもかな       小林一茶

一茶の俳句は明快かつ情感に満ちている。俳句は受け止める人がそのシーンを瞬時に思い浮かべれるだけでなく、やはり心を揺さぶる情感が秘められていなければならない。そういう意味では日本の演歌と一茶の俳句は相通じるところがあるように思える。

われと来て遊べや親のない雀     一茶

 

26 春風や闘志いだきて丘に立つ         高浜虚子

春は多様な生き物が生まれたり、あるいは目覚めたりして徐々に活発化する季節である。里山に上ってみると枯れ枝の芽が急速に膨らみ生命力を見せている。やがて小鳥たちの声もにぎやかになって山桜が咲き始めるとふもとの田んぼでは蓮華の花が咲き始める。

人間社会では入社する者もあれば、退職する者もあり世代交代が顕著になる時期である。いずれにしても時間は待ってくれないので計画を実行すべく決意を高め悔いのないように臨むことになる。

                                      (はるか)

 

27 春の月城の北には北斗星           中村草田男

冬は大気の湿度が低いため夜空の星座は冴えわたるが、春が深まるにつれ湿度が徐々に高まり晩春にはおぼろ月夜が多くなる。星座もまばたき、肉眼では遠方の星は見づらくなってくるが北斗七星や、カシオペア座等はかろうじてその存在を見ることができる。

                                       (はるか)

 

28 勿忘草わかものの墓標ばかりなり       石田波郷

勿忘草(わすれなぐさ)の語源

ドイツの悲恋伝説に登場する主人公の言葉に因む。
昔、騎士ルドルフは、ドナウ川の岸辺に咲くこの花を、恋人ベルタのために摘もうと岸を降りたが、誤って川の流れに飲まれてしまう。ルドルフは最後の力を尽くして花を岸に投げ、„Vergiss-mein-nicht!“(僕を忘れないで)という言葉を残して死んだ。残されたベルタはルドルフの墓にその花を供え、彼の最期の言葉を花の名にした。

                                      (はるか)

29 赤い椿白い椿と落ちにけり           河東碧梧桐

個人的には、この俳句のように赤い椿と白い椿が同じ場所に植えられている様子はあまり見たことがありません。昔から椿と言えば「赤いヤブツバキ」が一般的でしたから、白い椿を見たことがある人は少ないと思います。そこで、念のためにインターネットで白い椿の存在を確かめてみました。

白い椿はサザンカと間違えられることがありますが、写真の花は2014/03/24に一般の方が八王子の小門公園で撮影されたものでこれは確かに白い椿です。白いサザンカ(山茶花)ではありません。花の芯の形、葉の形から見て明らかに椿です。開花時期にはヤブツバキも咲いている時期なのでこの俳句は写実を詠んだものとみなして良いと思います。
                                     (はるか)

30 すみれ程小さき人に生まれたし        夏目漱石

私はこの句を素直に受け止めたいと思います。人間は様々な欲望を持っていますから時には愚かなことを言ったりしたりしてしまいますが、植物はそのようには見えません。

漱石はそういうことを言いたかったのではないかと思うのです。みなさんならこの句をどうみますか、連想は自由ですからそれぞれの受け止め方で良いと思います。このようななぞなぞみたいな句を好む人もいますが、私はあまり好きではありません。

                                      (はるか)

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