弟の大活躍
1.ことのはじまり
私は胸のポケットに「マイカーのキー」を入れていたが、胸ポケットのボタン止めをしていなかったために、防波堤の先端で釣りをはじめて間もなく不覚にもうつむいたとたんに海中にキーを落とし込んでしまったのであった。
なぜ私は、胸のポケットのボタンを止めていなかったのか?
はやく釣りたいというあせり、うっかり忘れてしまっていた、といういかにものんきな私らしい緊張感の欠如によるものである。
2.真冬の海に潜った弟、だが無情にも消えてなくなったキー
落とし込んだキーは、キラキラひかりながら最初は深さ1mくらいのところの石の上に見えていた。私はそれを竿の先にひっかけて持ち上げようとしたのだがうまくいかず、よけいに深いところに沈み始めた。それを見かねたのだろう、弟はいきなりパンツ一つの裸になり真冬の海中に立ち入って手を伸ばしキーを拾おうとしたのだが、無情にもキーには手が届かず、弟は必死になって真冬の冷水の中に潜って拾おうとしたが、ああっ無常!!なんと、キーは石垣の割れ目に落ち込んで手の届かぬところに消えてしまったのだった。
3.弟の機転
「兄ちゃん、車屋さんに電話しよう」「うん、そうだね」二人は港の公衆電話の電話帳で付近のカーショップを探した。ボンヤリしている兄よりも弟は冷静で機敏だった。そこから先の弟の活躍ぶりはほんとうにびっくりするくらいみごとだった。運よく車屋に電話がつながり、弟の冷静・簡潔な説明も手際よかったので、30分後に遠方の宍喰町からスズキの若いしっかりした技術者らしい方がサービスカーで駆けつけて来てくれ、持参したプラスティック製の板(30cmスケール)を使ってドアのキーロックを外し、さらに手際よくエンジンスタート用キーボックスを外して、リード線(プラス極および、マイナス極)先端部に金属製のクリップを巻きつけて接触させて、ななんとたったの15分くらいでみごとにエンジンが小気味よくかかったのであった。
技術者の方は淡々と「これでエンジンはかかるようになりましたから、お家に帰って予備のキーがあれば近くのスズキに行って事情を話してください、ちゃんと対応してくれますから」まさに神様仏様みたいな嬉しさであった。「ありがとうございました、助かりました」と二人で礼を言うと、「なーに困ったときはお互い様だよ」とかっこいい返事でしかもなんとまあ無料だった。
まあしかし、これも冷静な弟の助けによるものだった。私が28歳、弟が23歳、時は1981年の真冬の2月、場所は竹ケ島だった。
4.弟について
私と弟は仲が良くて、一度も喧嘩をした記憶はない、私が小学校3年生で大潟分校に通っていた時、4歳の弟は授業中にそろ~と教室に入ってきて後ろに立って兄ちゃんの授業の様子を見ていた。すると、数日後、私の担任の先生が気を利かせて予備の椅子を持って行って弟を後部に座らせてくれたりしたのだった。 後で弟に「なんで?」と聞いてみると、「勉強が面白かった」と目を輝かせながら言っていた。
そんな弟は、小学校から高等学校卒業まで首席で、成人してからは人情家で芸術家で、出世もして多くの人々から尊敬されていた。
5.突然の弟の逝去
その後、私は何度も人生の節目節目で弟に励まされ、助けられて生きてきたのであったが、1998年(平成10年12月24日)最愛の弟は50歳で突然の病気で言葉を交わす間もなく大勢の人々に見送られて満開の桜が散るように惜しまれつつ逝ってしまったのであった。
6.弟との想い出