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22~25歳、あこがれのパイロットを目指して

1.その前に主人公直吉の幼年時代

 主人公直吉は航海訓練所の帆船日本丸の船長裕次郎の長男として生まれた。幼年時代、彼は友達作りの名人であったが、そのことを知っていたのは母の理恵くらいで、めったに家に帰らない裕次郎はまったく知らなかった。近所には直吉よりも1歳とし上の健ちゃんという男の子が住んでいた。 直吉が1歳で健太が2歳、最初に近づいて行ったのは直吉の方であった。家の近くの公園で、歩き始めたばかりの直吉は母の手を振り払って、自分から健ちゃんの方へ近づいて行った。そして、二人は遊び始めたのだが、直吉が2歳で健ちゃんが3歳になると、毎日健ちゃんが直吉の家に遊びに来るようになった。二人は鬼ごっこをしたり、相撲を取ったりして仲よく遊んだのであった。健ちゃんが4歳で幼稚園に行くようになると直吉も幼稚園に行きたいと母に告げたが、幼稚園は4歳からなのでかなわず、直吉は母に絵本を読んでもらいながら公園の前で健ちゃんの帰りを待っていた。翌年、幼稚園に入園した直吉は、なんと、勝気な母の予想に反して徒競走はクラスでいつも2番目くらいだったのである。ところが、誰も読めないひらがなをすらすら読めるという不思議な能力の子供でもあった。

2.人生一度の青春をおうがし、仲間との信頼関係を築いた

 小学校3年生から少年野球の仲間入りをした。背の高さは3年生ではずばぬけていて150cmあったのだが、6年生の先輩9人の背丈が180cm以上もあったりして150cmの直ちゃんはその谷間に沈み目立たない存在だった、とにかくいつも外野のフェンスの前にはいた。そして、毎日どろんこになってボールを追いかけ、ひろうとピッチャーの方へ投げ返していた。6年生になると、同級生が背伸びしてきて180cmになり背丈だけでなく技量も追い越されてしまい、結局、直吉は補欠のままであった。普通なら、当然のように補欠は下級生に譲り本人は辞めてゆくのだが、なぜか直吉はやめなかった。そのころ、一級下の正選手の一人に、「おい、万年(補欠)、早く洗濯してくれよ、遅いぞこら、なんしょんな、あほう、馬鹿!」といじめられていた。このころ母が直吉を見かねて、週に一回の英語教室を二回に増やしたりして(とにかく、野球をあきらめさせようと画策していたのだが、)直吉は野球をやめようとはせず、なおさら熱心に英語も野球も歯を食いしばって必死にがんばっていた。そして、なによりかにより、いったいこの子の神経はどないなっとんだろうと母親が思うくらい、直吉はいつもニコニコしていて、絶対にケンカをしかけてくる相手にはむかわず、幼稚園のころからと同じように、ケンカしたり、口答えしたりさえも一切しなかったのである、これは実は直吉の遺伝子の天性によるものだったのだが当の本人さえも「なんでおれはケンカしないのだろう」くらいは感じていたが、最後までそんな高等な遺伝子の作用などの事実を知らなかったことなのである。

 中学校3年生になると野球のうまい1年生の補欠が正選手に抜擢されたりしたが、直吉は依然として補欠で球拾いだけでなく、例によって仲間のユニホームの洗濯から、道具運び、飲み水の世話だけでなく、遠征試合の弁当作り(おにぎり作り)などに明け暮れていた。ところが、驚いたことに、直吉が洗濯したユニホームは薔薇の香りがしたり、直吉が作った弁当には、いったいどのようにして入手したのか、有名店かねふくの上等のタラコがたまに入っていたりして、仲間の母親(最近の母親たちはローソン専門で、自分ではおにぎりの作り方も知らない)をはるかにしのぐ料理の得意技を発揮していたのだった。さすがにこのころになると直吉の足が少し速いということだけは認められて時々「ピンチランナー」に起用されたが、それでも正選手にはなれなかった。けれども、直吉は猛烈なノックの嵐の最前列にいてパンツまでどろんこになって走り回り、強烈なゴロさばきがどうにかこうにかできだすと自然に仲間からも信頼をあつめるようになり、3年生後半でやっと正選手になった。守備位置は遊撃手(ショート)、打順は2番、ホームランこそはなかったがバンドだけは誰よりもうまいし、ゴロさばきはピカイチだったと後年の同窓会でも噂されたくらいだった。ついでにその同窓会で、「あのかねふくのタラコはどないして入手していたの?」と仲間が直ちゃんに聞いてみたら「な~に、下級生の中にかねふくの子供さんがいてね、そのお父さんと知り合いになってさ、一度は断ったのだが、時々みんなで食べてやといって差し入れしてくれてたんや」と白髪のじいさんになった直吉がさらりと明かしてくれたのだった。(ちなみに、それは70年後の同窓会での話である)

ちなみに、日本広しといえども、小学校3年から中学校3年まで7年間も休まず補欠を務めた人はあまりいない。

 やがて、高校(普通科)に進み、あいかわらず大好きな野球には熱心であったが、チームは1年生の夏の甲子園予選では例年通り早々に敗退し甲子園出場などは夢のまた夢であった。それでも2年生になると、直吉のバンド作戦が功を奏したのかやっと1回戦に勝利して先輩ができなかった初戦突破の夢を果たしたのだった。そして、3年生になると驚くべきことが起きた、なんと、2回戦ではじめて正選手になった直吉が生まれて初めての最初で最後の決勝ホームランをはなったのである。級友も驚いたが当の本人が一番驚いたのはゆうまでもない。結局、チームは快進撃して決勝戦まで進んだのであった。しかし、まことに残念ながら決勝戦で敗退し全員で涙を呑んで、甲子園初出場の夢は果たせなかった。それでも、いつも初戦で敗れていた本校が初戦を突破しただけではなく決勝まで進んだという事実は本校の歴史に長く残るだろうと校長がいつもとはちがう少し引きつったような真剣な顔をして慰めてくれたし、そして、だれからともなく仲間の友情は永遠だと反省会でみんなで誓い合ったのであった。

 3年生の後半、夢はプロ野球の選手ではなく、前頁で述べたように飛行機のパイロットになることだと確信した直吉であった。そのためには、大手航空会社に入社する必要があり、まずは大学に入学しなければならなかったので、北海道大学理学部を受験し幸いなことに首席ではなかったがみごと合格を果たすことはできた。このころ英検1級の資格もどうにかこうにか得ていた。そして、大学をやっとのことで卒業するのだが、卒業見込みの3年生後半で大手航空会社の「自社パイロット養成」のための入社試験に挑戦して行くのだった。

3.青年時代、副操縦士への道のり

入社試験

↓の一次試験~五次試験、直吉は最後の面接まで進み、最後に出席した社長の目にかないみごとに合格した。

備考:試験内容

 一次試験:面接、航空適性検査(初期検査)、エントリーシート提出
 二次試験:航空適性検査(操縦模擬ツール)
 三次試験:面接、グループワーク、心理検査、航空身体検査Ⅰ
 四次試験:航空身体検査Ⅱ
 五次試験:面接、英語コミニュケーション能力テスト (ここでかねて母が講じてくれた英会話1級資格の実力が出た)

面接、社長:「あなたはどのようなパイロットになりたいのですか?」直吉:「旅客機の目的は、お客様を安全に目的地にお運びすることです、その安全を確保するには、常にパイロットの迅速な判断と適時適切な操縦が必要であることは間違いありませんが、最近の機体は複雑高度な計器や機械で構成されており、これを支えているメンテナンス要員の方々、また、たくさんの飛行機が集中する管制塔の方々との的確なコミニュケーションなしでは飛行機を飛ばせません。私は、少年時代に野球をしていましたが、小学校3年生から中学校3年生までの7年間補欠でした。その間、正選手を支え、彼らに最高のコンディションを維持してもらえるように、朝早くから夜遅くまでかたときも休まず、チームの雰囲気を明るくするためにあらゆる努力をしてまいりました。私が若し旅客機の機長になれたら、まず最初に機体整備の方々と機体のすみずみまで潜り込んで、あぶらまみれになって一緒に点検し居酒屋で反省会をして信頼関係を築きます。また、航空会社の窓口ではどのような仕事がどのように行われているのか実習して確かめさせていただきます。もちろん、管制塔にもまいりまして、担当者の方々の仕事ぶりを数日間じっくりと拝見させていただきます。そのようにして、まず、関係各位のみなさまとの信頼関係を築いた上でフライトシミュレータであらゆる突発事故に対処する訓練を行い、自信を付けてから実機での操縦訓練をさせていただきたいと思っています。そういうことが私ならできると思いますのでそういうパイロットになりたいのです。」

社長:「それは当然のことであり、今までの受験者も同じようなことをいってるよ、それだけでは合格にはなりませんぞ、ところで、あんた、パイロットは管制塔と英語でテキパキやりとりしなければならないのは知ってるかい」直吉:「知っています。」社長:「それじゃ、今からオレと英語でやりとりしてみるかい」直吉:「はい、喜んで!」

英語コミニュケーション能力テスト、社長:「What kind of pilot do you want to become?」直吉: 「in order to ensure the safety which is carrying a visitor to the destination safely, it of the purpose of a passenger plane is certain but that a pilot's quick judgment and operation suitable timely are always required, and. It consists of meters and machines advanced intricately [ the latest body ], and an airplane cannot be flown without exact handicap cominyucation with the maintenance staffs supporting this, and people of the control tower which many airplanes concentrate.
Although I was playing baseball in boyhood, I was a supplement during seven years from the third grader in an elementary school to the third-year student in a junior high school.
I support a regular player and get them to maintain the highest condition in the meantime as early in the morning from it was not absent from a moment till late at night, and I have made every effort to make atmosphere of a team bright.
If I get used to the captain of a passenger plane, it will be hidden to people of body maintenance, and all the corners of the body first, will become あぶらまみれ, and will check together, an evaluation meeting will be held in a tavern, and a confidential relation will be built.
Moreover, at the window of an airline, it has what kind of work is performed how and training, and confirms .
Of course, I will call also at a control tower and will see persons' in charge way of work thoroughly for several days.
It is made such, first, after building a confidential relation with you of the Gentlemen concerned, training which copes with all unexpected accidents by a flight simulator is performed, and after attaching confidence, I wish to carry out operation training with the system.
Since I think that it can do if such a thing is me, I would like to become such a pilot. 」

社長:「うん、まあまあだな、よし合格だ!!、入社は認めるが今後の訓練でどうなるか分からんぞ、油断するなよ」直吉:「ありがとうございます。どうかよろしくお願いいたします。」と深々と頭を下げたのであった。

↓の自社パイロット養成訓練であの少年時代に培った根性をいかんなく発揮し晴れてパイロットになれた。

1.机上教育:航空に関する法律、気象など

2.単発機(ボナンザ)操縦資格取得:アメリカにいって160時間の訓練を行い、実機試験に合格して取得してきた。

3.計器飛行証明を得るための教育を受けた(東京の訓練所にて)

4.双発機(バロン)で計器飛行証明書取得:再びアメリカに行って実機訓練・試験に合格して取得してきた。

5.副操縦士になるための訓練:日本で大型ジェット旅客機のフライトシュミレータ訓練、実際の大型ジェット旅客機(訓練専用機)で訓練を積み立派な成績で社内審査に合格し副操縦士になれたのであった。