26~36歳、副操縦士として
1.だいじなのは機長のプライドを守ることではなく乗客の安全を守ること
副操縦士は機長とは違うので自分の立場をわきまえて行動し、言動しなければならない。そこで、役立ったのが少年時代に7年間補欠を続けた時の経験である。まず、異常発見時には機長に直ちに報告するが同時にこうしてはいかがでしょうかと提案する。しかし、新人副操縦士のころには「余計なことをいうな!!」とある機長にたしなめられたこともあった。だが、直吉は提案は余計な事とは思わなかった。
だいじなのは機長のプライドではなく乗客の安全を守ることなのだと知っていたからである。
2.常に勉強するのが好きだった
最新型の飛行機は複雑高度な自動機器を積んでいる。それを隅から隅まで理解していなければいけない。そうすることによって故障を早期に発見できるし、対処もできるのである。
3.暇さえあればフライトシミュレータ室に行って空いている時に訓練を重ねた
パイロットは頭だけでなく体に技を覚えこますことが重要である。これは直吉の哲学であった。この訓練により不安定な気流に巻き込まれた時などの機体操縦テクニックは余裕を持って対処できるようになる。
4.整備士や管制員とも知り合いになった
これまた補欠の時の経験がいきたのであろうか、友達作りがうまいのである。もちろん、機長やスチュアーデスなどスタッフとのチームワークつくりにも彼の天才的な献身行為とその場の空気を読んで仲良く仕向ける雰囲気づくりは親父の裕次郎よりも卓越していたのであった。
5.人より1時間早く来る
よくあることだが、10人中8人くらいはぎりぎりにやってくるし、2人くらいは遅れてくる。これでは飛行機の出発時間が守れない。それを防ぐ手立ては自分が模範的に1時間はやめにやってきて準備をすることなのである。これも補欠の時の体験が身に沁みこんでいたからである。
6.改善提案活動
時代の流れを読み、他社との競争に勝たなければならない、そこでこの大手航空会社では社員による提案活動制度があった。優れた提案は採用されて思わぬ出世につながったりもする。直吉は毎月1件は提案を出していた。このことは上司も知らなかったのかそれともねたまれていたのか残念ながら思わぬ出世にはつながらなかったが、ボーナスの評価が悪くなるようなことはなく給料だけは仲間よりも少しだけ良かった。
7.清潔な身なりをする
パイロットの制服姿は少年たちのあこがれの的である。クリーニングはけちらず高級店に出していた。薔薇の香りがほのかにただようということで乗務員(スチュアーデス)のあいだでも評判になっていたのだが直吉は知らなかった。
8.指差呼称の徹底
人間は慣れてくるにしたがって「うっかりミス」、いわゆるヒューマンエラーを起こしやすい。これを防ぐ手立ては模範的な指差呼称を進んで行いクルー全員で実行する雰囲気を盛り上げることだと知っていた。
9.停泊中の睡眠は自然に十分にとる習慣を身に付けていた
これこそが、直吉の天性であり、先祖からの遺伝子のなせる業であったのかもしれない。
10.勤務中にプライベートな話題は慎む
ハンサムで優秀な直吉はスチュアーデス達のあこがれの的であった。だが、冷静な直吉にはどこか近寄りがたい雰囲気があったためかアタックしてくる女性はいなかった。