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52歳~60歳、国際線機長として

  パイロットに求められるのは操縦の技術だけではない、先を見通す思考力や、何かあったときにすばやく正しい判断をくだせる能力が大事である。パイロットは万が一のトラブルにも対応できるように、常にあらゆる訓練を重ねている。たとえば、離陸の最中にエンジンの調子が悪くなった場合、 飛行機が滑走路を走りだしてある速度に達すると、ブレーキをかけても止まりきれずに滑走路をはみだすので離陸せざるをえない、だから、そのスピードに達する前に判断して離陸を中止するのが正解なのである。 搭乗前にステーションコントロールルームで気象情報を確認。ゆれが少なく、短時間で着けるルートを考える。飛行時間が短ければ積み込む燃料も少なくてすむ。 この速度は離陸時の機体の重さや天気などによっても変わる。つまり、フライトごとに判断の基準が変わるわけである。どの場合は離陸をやめて、どの場合はこのまま行くか、パイロットは常に搭乗前から一瞬で判断しなければならない。

1.52歳で念願の国際線機長になった。

 パイロット仲間の中では一番遅い出世であり家族も内心心配していたくらいである。しかし、本人はそういうことは一向に気にしない性格であった(少なくとも外観上はそう見えたが、本人の心の内側までは覗けないのでわからないが・・・)

2.なぜ彼が国際線機長になるのが他の人より10年くらいも遅かったのか、

 それは彼の生い立ちを見れば分かる。少年時代に7年間も野球チームの補欠を務め、8年目に苦労の花が開いて正選手になれたという経歴がそっくりそのままあてはまるのである。少年時代の運動会の徒競走でも1番になったことはなかった。母校の先生方に聞いてみても、「へ~あの子がね~、機長になったんですか~??」てなことで、直吉少年はまったく目立たない子供だったのだそうである。

 このことは、将来パイロットを目指している少年たちにも夢を与えるのではないだろうか、つまり、世間ではパイロットになるような人は子供のころからスポーツも勉強も1番のエリートでないといけないと思い込んでいるのではないだろうか、今回の直吉さんの場合はそのような伝説をみごとひっくり返したのであった。つまり、普通の人でも夢に向かって努力すればパイロットになれることを証明したのである。

3.彼はいったいどんな人

 しいていえば自分は前面に出ず仲間が働きやすいように裏方に回って雰囲気を盛り上げるのが上手な人である。こういう人は普通の会社では可もなく不可もなく、係長にはなれたが課長にはなれずに終わる(退職を迎える)といういわゆる普通の人なのである。

4.なんでそんな人がパイロットになれたのですか

 ひとついえることは、数学や国語は普通でしたが、英語だけは誰にも負けないくらい達者でした。パイロットは管制塔とのやりとりは全て英語でやりますから、英語(英検1級、これは英検の最高資格)が彼をパイロットに導いてくれたのだと思われます。

5.パイロットの定年は60歳ではないのですか

 今まではそうでしたが、最近では国際的にもパイロットが不足して航空業界は困っているのです。これは、いわゆる団塊の世代の人たちが大量に退職時期を迎えていることが背景にあります。そのため会社によってはシニアパイロット制度を導入して60歳を過ぎた人でも技能や身体が若々しいようなら毎年かならず検査した上で働いてもらう準備を進めています。

6.UFOを見ませんでしたか

 UFO(未確認飛行物体)に一度だけ遭遇したことがありました。点滅しながらこちらに接近してくる飛行物体をレーダーがとらえていました。付近に他社の飛行機がいるという情報はありませんでしたから、あれはあきらかにUFOでした。UFOは我が機の後方1kmまで接近して10分くらい追従していました。こちらから電波で話しかけましたが一切応答はありませんでした。残念ながらレーダーではとらえましたが、肉眼では確認できませんでした。そのうちすごいスピードで上空に飛び去って行きました。

7.最後に、52歳からの10年間でいちばんの思い出はなんですか

 乱気流によって、10000メートル上空から5000メートルくらいまで急降下する事態に至ったことがありました。しかし、そういうことは想定内のことで、現在のパイロットはフライトシミュレータで定期的にその対応訓練を行っているので心配は無用です。このときも訓練通りの操作で安全に機体を立て直し快適な飛行を継続しました。ご承知のように気流が乱れ始めた時には、あらかじめ乗客のみなさまをはじめ乗務員にもシートベルトを着装してもらっておりますので問題はありません。