3月頃になると大潟湾の干潟がだんだんと広くなってくる。子供のころその理由は知らなかったけど、春が深まるにつれ干潟が広くなると子供心ははやくそこに降りていきたいと思うのだった。そういう思いは今になって思うとやはり先祖からの遺伝子が反応していたのだと思われる。考えてみれば、村人たちはみな同じように親から教わったり、遺伝子の影響でアサリ堀を楽しんでいたのだと思われる。我が家にも先祖が使っていたらしい「はまぐりかき」というちいさな道具が残っていて子供心を誘っていたのであった。
大潟湾のアサリは貝殻の模様が変化に富んでいた。それは、まるで宝石の様だった、もちろん、食べても美味しいけれど、私のこども心はその模様の美しさに魅了されたのだった。これは、先祖の一部の人が私と同じようなセンスを持っていたためであろうと思われる。