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3 page、2014年6月23日(終日航海)の体験録より

1.船内新聞について

 にっぽん丸では夜、各船室の新聞受けに、翌日の船内新聞(Port & Starboard)が毎日配られてくる(出航日に第1号、以降毎日第2号、3号、・・・と配られてくる)そこには、1面に今日の航海スケジュール、本日の主なイベント(もよおし)、今夜の※ドレスコード(乗客の服装)、夕食の概要、2~3面にはイベント、食事についてのタイムスケジュール、別冊1枚ものでイベントや食事のちょっとだけ詳しい案内などが記されている。

※ドレスコードとは、「日中は自由な服装で過ごし、夕食以降は大人の社交の時間を楽しもう」との理由で、今夕はカジュアルか、セミフォーマルかを、すべての乗客があらかじめ認識できるように新聞1面に記されている。ちなみに本日の夕食はウエルカムディナーであるため、ドレスコードはセミフォーマルと記されていた。

窓外の天候は曇り、多少の風波とうねりがあり、本船は相変わらず少し揺れながらも順調に一路南に向け航海を続けていた。

2.朝6時、風呂に行く(3階のグランドバス、6時から12時、15時から翌1時まで自由に利用可能)

 行ってみると、既に数名の先客がいた。大浴場のジェットバスに身を埋めると、船の揺れが伝わってきて、そのままでは浴槽内で倒れそうになるので本能的に両手を浴槽の底に付けてバランスをとるようにしていた。5分くらいで浴槽を出て洗い場(シャワー)の椅子に座り、まずはシャンプーで頭を洗う、次に用意されていたタオルにボディソープではなく、子供時代から使っている「石鹸」を使用する。石鹸はシャワーで洗い落とすと簡単に落ちるが、ボディソープは相当念入りにシャワーして洗い流さないとヌルヌル感がとれないので使いたくないのだ。

 15分くらいして外に出ると、新鮮なバスタオルが山ずみされていたのでためらわずに使いながら、鏡台の前に立って高級なヘヤトニックをさっと振り掛ける。その後、服を着て部屋に帰ったら6時30分になっていた。

3.朝食

7時過ぎに2階のメインダイニング(大食堂)「瑞穂(みずほ)」に行く、

これは和食セット、メニューは一定ではなく毎朝おかずを変化させている。ごはんかお粥を選ぶことが出来て、お粥も3種類ぐらい用意されている。何より良かったのは、これだけではなく洋食のビュッフェも準備されていて、牛乳、ジュース、ヨーグルト、パン、マンゴウなど高級なフルーツを自由に摂ることができるように配慮されている点だ。

4.NHK学園タイアップ講座、「小笠原の自然と成り立ち」9時30分~10時30分、「動物から学ぶ小笠原の海」13時30分~14時30分

4階ドルフィンホールにて、有名講師より小笠原諸島の自然と生息する固有の動植物についての貴重な解説があった。

今回のクルーズで、こんなサプライズの講演があるとは知らなかったので少し驚いた。30年以上も昔の洋上研修のことが懐かしく思い出された。

参考:ドルフィンホールは、船客400名を収容可能、優れた音響・照明設備を持つメインホール。講演やミュージックコンサート、落語等のショーも計画的に行われている。

5.絶海の孤島、鳥島の周囲を周回 11時~12時

11時前に船長からの挨拶があり、同時に周囲を通過する※鳥島についての概要説明があった。

※鳥島(とりしま)は、伊豆諸島の島(無人島)。全島が国の天然記念物(天然保護区域)に指定されている(後述を参照)。特別天然記念物アホウドリの生息地としても有名である。他の「鳥島」と区別して、特に伊豆鳥島とも呼ばれる。東京都に属するがいずれの町村にも属さない。東京都直轄であり、都総務局の出先機関である八丈支庁が管理している。

船長からのエピソードとして、昔ここに漂着した高知県の漁師「ジョン万次郎の生涯」が簡単に紹介された。

それにつけても、島の周囲はほとんど絶壁であり、平坦な海岸らしきところは見当たらず岩場ばかりである。私の撮影した今日の写真(左)でも黒々とした不気味な溶岩でできた岩場には砕け散る強烈な波しぶきが白々と見えている。こんな危険なところに小さな木の葉のような漁船が漂着しても粗末な船は瞬時に砕け散り数名の若者はあっというまもなく渦巻く海に投げ出されたことだろう。それでもなんとか彼らが命拾いしたということは、その瞬間が昼間で、ほとんど絶壁ばかりの鳥島で唯一の海岸であったのではないかと私は感じた。こんなことは実際に今日ここで鳥島をまじかに見て感じることでありにっぽん丸できたからこそである。

 

昨夕の夕食時に同席したご夫婦と知り合いになり写真を撮っていただいた。場所は太平洋上、背景の火山島は鳥島、にっぽん丸7階プロムナードデッキにて、

6.昼食

今日の昼食は和食、にっぽん丸の食事は毎日メニューが変わるので楽しみ。今回の乗客は高齢者が多いからであろう、いつものように美味しかったけれど、たぶん気を利かせてか、淡泊な味付けのものが多くなっているような気がした。

7.霧に閉ざされた※孀婦(そうふ)岩に接近、周遊 14時30分 ごろ

※孀婦(そうふ)岩とは、wikipediaより

東京の南約650km、鳥島の南約76kmに位置する標高99m、東西84m、南北56mの顕著な黒色孤立突岩。火道内のマグマが硬化してできた典型的な岩頸であり、したがって岩質は玄武岩である。頂上付近には水面に対して垂直方向の柱状節理が認められる。面積は0.01平方km。カルデラ式海底火山の外輪山にあたり、孀婦岩の南西2.6km、水深240mには火口がある。 その形状のために上陸することは困難であるが、1972年に早稲田大学の学生が上陸、ほか2003年にもロッククライミングで登頂した例などが存在する(ただし転落事故も記録されている)。 周辺は航海の難所ながら、豊かな漁場として伊豆・小笠原漁民に知られる。また、高い透明度と豊富な魚影からスキューバダイビングの聖地とする人も多い。

孀婦岩(ネット上のページより)、下田から南に約580km、海面から99mそびえ立つ岩、別名やもめ岩とも言われる。1778年イギリス船フェリス号、船長ジョン・ミアーズが発見、ロトの妻と命名されたものの、日本では意訳して孀婦岩と名づけられた、孀婦とは未亡人と言う意味、旧聖書によれば、神様がうしろを振り返ってはならないと命ぜられたことを、ロトの妻がその禁を破ってしまい、塩の柱に変えられてしまったと言う。この島の岩肌が海鳥の糞で白くなっていることから、ミアーズはこの奇岩をロトの妻に見立てたのである。

8.夕食(ウエルカムディナー、この日の服装はセミフォーマル)

 

デザート、ここで 船長から私たちの金婚式への祝辞をいただく、そして楽団が演奏と歌でムードを一気に盛り上げて私たちを祝福

 

9.イベント

にっぽん丸では、有名アーティストによる数々のショープログラムがあり、船旅の楽しさを満喫させてくれた。

8時半から9時半まではモンジューコンサート

コンサートの後、9時45分から三笑亭可女次さんの落語

参考資料、鳥島の地理と歴史(wikipedia)

(1)地理

東京の南、都庁から582km、須美寿島の南南東約110km、孀婦(そうふ)岩の北約76kmに位置する。ほぼ円形に近い二重式成層火山島であり、日本の気象庁においては火山活動度ランクAの活火山に指定されている。島の北方には、鳥島カルデラとよばれる海底火山が存在し、鳥島はその海底カルデラの南縁に位置している。

(2)歴史

鳥島は第四紀に活発な活動をしている第四紀火山であり、記録に残っているものだけでも1871年、1902年、1939年、2002年に噴火が確認されている。1902年(明治35年)の大噴火では、アホウドリ捕獲のために移住していた島民125人全員が死亡した。

江戸時代の無人島時代には多くの船が鳥島に漂着しており、たとえば土佐の漁師長平(野村長平)はアホウドリを食いつないで12年間生活し、後から漂着した者達と一緒に船を造って青ヶ島に脱出した。またジョン万次郎ら5人が漂着したのも鳥島であるが、彼らは3ヶ月でアメリカの捕鯨船に救助されている。吉村昭によるとこの島に漂着し、脱出できた者の記録は15例以上ある。

また、2012年1月1日に鳥島近海を震源とするM7.0の地震が起きた。

最高点は硫黄山の394m。現在は無人島であるが、明治時代から戦前にかけては人が住んでいた時期もあり 、島の西側には1965年の火山活動による群発地震によって閉鎖された気象庁鳥島気象観測所の建物が残っている。

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