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老年時代

     

 53歳、2060年、裕次郎はキャプテンになってから早くも17年目を迎えていた。これまでの数年、部下にキャプテンの座を譲りたいと上層部に何度も申しいれてきたのだが、「高専や大学から裕次郎船長でないと困る」と厳しく言われるんですよ、などと年下の人事部長が泣くように言って聞き入れてもらえず困っていた。

 54歳、2061年、船はドック入りをして、裕次郎は長男直吉(24歳)と長女理恵(14歳)を連れて、94歳で元気な父親とともに、今は亡き松山の祖父の墓参りにきていた。「懐かしいな~」と祖父の墓に話しかけると、「裕次郎よ、頼みがあるんだ、もういっかい宇和島の大浦岸壁に来て、セイルドリルを見せてくれんだろか」と父親が傍でポツリと言ったのだった。

 55歳、2062年、日本丸は宇和島市の招待を受けて、5月連休に宇和島の大浦岸壁に接岸、裕次郎が5歳で電撃的な感動を受けたこの港に期せずして50年ぶりに、招待されて船長として日本丸を伴って帰ってきたのだった。95歳の父親はあの日と同じように松山駅発10時14分の特急宇和海9号で同じく95歳の妻を伴い、宇和島駅で硬い豚肉のランチを食べて、タクシーに乗って足場の悪い港にやって来ていた。

 大浦岸壁では、あのときと同じように大勢の観客が押し寄せ、屋台の店も立ち並びうまそうな焼きイカの煙をもうもうと立てていた。唯一変わったところと言えば、そこには祖父母の姿がみえないことだったけれども、36枚の帆が開いたその一瞬に一陣のさわやかな微風が4本のマストの帆をさわさわとかすかに広げていたようだった。