カナブン(黄金虫)
2020.08.28
あばら家に カナブン2匹 ぶううんぶんぶん 光彦
70年前、家庭の照明は裸電球が普通だった。今のようにエアコンなどもなかったので、夜には四方八方の窓を開け放ち涼をとるのであった。すると、灯に誘われた黄金虫が毎夜のようにやってきて電球の周りを飛び回るのであった。
70年前、家庭の照明は裸電球が普通だった。今のようにエアコンなどもなかったので、夜には四方八方の窓を開け放ち涼をとるのであった。すると、灯に誘われた黄金虫が毎夜のようにやってきて電球の周りを飛び回るのであった。
雲の峰
2020.08.28
故郷の 孤島飲み込む 雲の峰 光彦
■ふるさと橘湾には多くの無人島がある。 近くの島は緑だが遠くの島になると青みがかって見えるのだった。 そんな無人島の上に巨大な入道雲が湧くと、やがてにわか雨と雷鳴がとどろき水泳客を驚かせるのであった。
■ふるさと橘湾には多くの無人島がある。 近くの島は緑だが遠くの島になると青みがかって見えるのだった。 そんな無人島の上に巨大な入道雲が湧くと、やがてにわか雨と雷鳴がとどろき水泳客を驚かせるのであった。
土用波
2020.08.28
土用波に 揉まれ遊んだ 友いずこ 光彦
■70年前のこと、ふるさとのあこめの浜での思い出である。現代ならさぞかし遊泳禁止という状況だが昔はそういう言葉さえなかった。わいわい騒いで大波と遊ぶのがおもしろかったのである。
■70年前のこと、ふるさとのあこめの浜での思い出である。現代ならさぞかし遊泳禁止という状況だが昔はそういう言葉さえなかった。わいわい騒いで大波と遊ぶのがおもしろかったのである。
明けの明星ーⅣ
2020.08.26
蝉さりて
2020.08.26
蝉去りて 静まり返る ミュージアム 光彦
■例年通り8月も終盤になるとくまぜみはほとんど居なくなってしまった。8月の初めには松山大学の欅林で早朝から一斉に鳴いて栄華を誇っていたのだが、今朝の林は静まり返っておりあの蝉たちはどこへ行ってしまったのかと寂しさを感じたのであった。
■例年通り8月も終盤になるとくまぜみはほとんど居なくなってしまった。8月の初めには松山大学の欅林で早朝から一斉に鳴いて栄華を誇っていたのだが、今朝の林は静まり返っておりあの蝉たちはどこへ行ってしまったのかと寂しさを感じたのであった。
くまぜみの最後について
2020.08.22
■くまぜみの最後についての推察
◎状況
くまぜみの亡骸はたいてい仰向けになって地面にころがっている、しかし、樹木の真下ではなく樹木から少し離れた場所に転がっている場合が多い。 これは、樹木に止まっているときに死んだのではなく、飛び立った直後に空中で力尽きて落ちたためと観られる。
◎推察
それはいったい何を意味しているのだろうか? 長い地中生活から解放され、はじめて空中に飛び立った時はどれだけ嬉しかったことか、そして本能の赴くままに樹木に止まって高らかに「せっせっせっせ・・・・・・・・」と鳴いて恋をしていたのだからその樹木で死ぬとは予感できなかったと思われる。
それにしても、成虫の寿命はあまりにも短い、10日前後と言われているが、それは人間が勝手に観察しての話であり、くまぜみ自身は発声がままならなくなっても、未来を信じて使命に燃えながら、空中へと飛び立っていたと思われる。 そして、空中で理解できないまま次第に弱ってきて落下したのだろう。
落下した場所でまだ死ぬとは思えず、羽をばたつかせると、姿勢はいつしか仰向けになってしまう、その視線の先には青空があり太陽が眩しく輝いている、彼はもう一度あの空を飛びたいともがくのではないだろうか。
生き物は人間も含めて全て、通常は自分の未来の死期を知らないまま生きている。ただし、直前になるとああ私はここで死ぬんだと悟るのではないだろうか、
くまぜみが、樹上ではなく、最後まで未来を信じて空中で飛びながら力尽きるのは素晴らしい。
◎状況
くまぜみの亡骸はたいてい仰向けになって地面にころがっている、しかし、樹木の真下ではなく樹木から少し離れた場所に転がっている場合が多い。 これは、樹木に止まっているときに死んだのではなく、飛び立った直後に空中で力尽きて落ちたためと観られる。
◎推察
それはいったい何を意味しているのだろうか? 長い地中生活から解放され、はじめて空中に飛び立った時はどれだけ嬉しかったことか、そして本能の赴くままに樹木に止まって高らかに「せっせっせっせ・・・・・・・・」と鳴いて恋をしていたのだからその樹木で死ぬとは予感できなかったと思われる。
それにしても、成虫の寿命はあまりにも短い、10日前後と言われているが、それは人間が勝手に観察しての話であり、くまぜみ自身は発声がままならなくなっても、未来を信じて使命に燃えながら、空中へと飛び立っていたと思われる。 そして、空中で理解できないまま次第に弱ってきて落下したのだろう。
落下した場所でまだ死ぬとは思えず、羽をばたつかせると、姿勢はいつしか仰向けになってしまう、その視線の先には青空があり太陽が眩しく輝いている、彼はもう一度あの空を飛びたいともがくのではないだろうか。
生き物は人間も含めて全て、通常は自分の未来の死期を知らないまま生きている。ただし、直前になるとああ私はここで死ぬんだと悟るのではないだろうか、
くまぜみが、樹上ではなく、最後まで未来を信じて空中で飛びながら力尽きるのは素晴らしい。
くまぜみーⅡ
2020.08.21
■8月20日を過ぎてからくまぜみの蝉しぐれが急に遠のき始めた。これは例年通りの自然現象ではあるが、そうなると少し寂しく、急減しながらも残り少ない数匹が健気に鳴いているのを見ると愛おしくさえ感ずるものなのである。
ところで、早朝の散歩道で、落下して仰向けになっている蝉を随所で見かけるが、触ってみるとまだ生きているものもいる、がしかしもはや飛ぶ力もなくじっとしているのである、その心理はいかなるものかはかりしれないが、使命は果たしたという満足感に浸りつつ永眠しようとしているように思えるのである。
地に落ちても 悔いはない 朝の蝉 光彦
ところで、早朝の散歩道で、落下して仰向けになっている蝉を随所で見かけるが、触ってみるとまだ生きているものもいる、がしかしもはや飛ぶ力もなくじっとしているのである、その心理はいかなるものかはかりしれないが、使命は果たしたという満足感に浸りつつ永眠しようとしているように思えるのである。
地に落ちても 悔いはない 朝の蝉 光彦
明けの明星ーⅢ
2020.08.20
ときめいて 明けの明星 独り占め 光彦
■このところ、金星のご来光を見るのを楽しみにしている。東の部屋から見ると北東にある清水小学校の校舎の上に出てくるのであるが、真夜中なので待つのは一苦労である、とはいうものの、注意して見ると1日ごとに前日より約1分遅れて出てくるのでその予想がこれまた楽しいのである。ちなみに、
2020年8月18日は、午前2時42分。
2020年8月19日は、午前2時43分。
2020年8月20日は、午前2時44分。
2020年8月21日は、午前2時45分。
2020年8月22日は、※曇天のため観測できず
2020年8月23日も、※曇天のため観測できず
※曇天のため観測できずの件
18日から21日までは優勢な高気圧に覆われほとんど雲がなかったので観測できたが、そのような偶然は奇跡のようなもので今後はおそらく観測不能な曇天が通常になると推察される。
■このところ、金星のご来光を見るのを楽しみにしている。東の部屋から見ると北東にある清水小学校の校舎の上に出てくるのであるが、真夜中なので待つのは一苦労である、とはいうものの、注意して見ると1日ごとに前日より約1分遅れて出てくるのでその予想がこれまた楽しいのである。ちなみに、
2020年8月18日は、午前2時42分。
2020年8月19日は、午前2時43分。
2020年8月20日は、午前2時44分。
2020年8月21日は、午前2時45分。
2020年8月22日は、※曇天のため観測できず
2020年8月23日も、※曇天のため観測できず
※曇天のため観測できずの件
18日から21日までは優勢な高気圧に覆われほとんど雲がなかったので観測できたが、そのような偶然は奇跡のようなもので今後はおそらく観測不能な曇天が通常になると推察される。
頑張るくまぜみ
2020.08.19
■私の記憶では「くまぜみは盆明けにはほとんどいなくなる」はずだった。しかし、今年は確かに下火にはなったが、あちらこちらで元気に鳴いているのだ。一方、例年通りツクツクホウシも出始めており双方が合唱している場所もうかがえる。
古寺や 息ふき返す 蝉しぐれ 光彦
古寺や 息ふき返す 蝉しぐれ 光彦
金星と月の天体ショー
2020.08.18