くまぜみの産卵を目撃
2020.08.31
一心不乱 卵うむ蝉 森の朝 光彦
■クマゼミは8月も終わり頃になるとほとんど鳴いていません。そんな中で、産卵の様子を偶然観察できました。
■クマゼミは8月も終わり頃になるとほとんど鳴いていません。そんな中で、産卵の様子を偶然観察できました。
明けの明星ーⅥ
2020.08.31
■観測の結果
少しながら分かってきたことがある。それは明けの明星の「星の出の時刻が毎日少しづつ遅れる」ということである。当日と翌日の比較ではあまり変わらないように見えるのでこういうことを知らない人もいるのではないかと思う。
今回、自分なりに「毎日少しづつ遅れること」が分かったので以下に記録しておく。
2020年8月18日は、午前2時42分だったが、本日8月31日では午前2時49分だった。そこで比較計算すると、1日ごとに約30秒づつ遅れて出てくるということである。
原因は金星と地球の規則的な位置関係が微妙に変化していることにある。
太陽系の惑星である金星と地球は、太陽からの距離は、金星の軌道が太陽にやや近く、地球軌道はその外側にある。この二つの星は無限に広大な宇宙の中では、隣り合っており、兄弟的な星と言われている。 つまり、両方とも太陽を中心に公転しているとともに、それぞれ違う速度で自転もしている。ただし、公転や自転の速度は互いに異なるものの、それぞれが、ほぼ規則的に動いているという特徴がある。
暗闇の宇宙の中で、他の星より格段に輝く金星が、地球の兄弟星ということさえも最近まで私は知らなかったのだが、今では真夜中に現れる金星を見るとなんとなく親近感を覚えるのである。
ただ、現在の地球は奇跡的に生物が生存できる環境になっているが、金星の現在は、想像を絶する高温下にあり、生物は生存不可能と見られている。
少しながら分かってきたことがある。それは明けの明星の「星の出の時刻が毎日少しづつ遅れる」ということである。当日と翌日の比較ではあまり変わらないように見えるのでこういうことを知らない人もいるのではないかと思う。
今回、自分なりに「毎日少しづつ遅れること」が分かったので以下に記録しておく。
2020年8月18日は、午前2時42分だったが、本日8月31日では午前2時49分だった。そこで比較計算すると、1日ごとに約30秒づつ遅れて出てくるということである。
原因は金星と地球の規則的な位置関係が微妙に変化していることにある。
太陽系の惑星である金星と地球は、太陽からの距離は、金星の軌道が太陽にやや近く、地球軌道はその外側にある。この二つの星は無限に広大な宇宙の中では、隣り合っており、兄弟的な星と言われている。 つまり、両方とも太陽を中心に公転しているとともに、それぞれ違う速度で自転もしている。ただし、公転や自転の速度は互いに異なるものの、それぞれが、ほぼ規則的に動いているという特徴がある。
暗闇の宇宙の中で、他の星より格段に輝く金星が、地球の兄弟星ということさえも最近まで私は知らなかったのだが、今では真夜中に現れる金星を見るとなんとなく親近感を覚えるのである。
ただ、現在の地球は奇跡的に生物が生存できる環境になっているが、金星の現在は、想像を絶する高温下にあり、生物は生存不可能と見られている。
明けの明星ーⅤ
2020.08.29
■2020年8月29日
未明の空は折よく雲がないようで松山にしては珍しく見知らぬ星々が見えていた。すると、
期待通り、午前2時47分に神秘的な「明けの明星」がいつもの位置に現れたのである。
いつもながら他の星を圧倒する明るさで、その大きさも信じられないくらい大きく見えるのであった。
金星が地平線から現れるときは、想像以上に大きく見えるだけでなく、明らかに速い速度で昇ってくるので、ますます神々しく見えるのである。
未明の空は折よく雲がないようで松山にしては珍しく見知らぬ星々が見えていた。すると、
期待通り、午前2時47分に神秘的な「明けの明星」がいつもの位置に現れたのである。
いつもながら他の星を圧倒する明るさで、その大きさも信じられないくらい大きく見えるのであった。
金星が地平線から現れるときは、想像以上に大きく見えるだけでなく、明らかに速い速度で昇ってくるので、ますます神々しく見えるのである。
初めての素潜り(子供のころの思い出)
2020.08.28
■70年前の実家の前は大潟湾で潮の満ち引きが顕著だった。
大潮時には干潮ではひ底になり、朝夕は満潮で満々と満ちてくるのであった。
当時、幼少の私は本能的に家の前の海を遊び場としていた、おそらく先祖たちも同じことをしていたに違いない。3歳くらいから干潮の干潟を裸足で歩きまわり小さな生き物と遊んでいたのである。ところが、満潮時の水中には興味はあったが泳ぐことも知らなかったので、海中に入ったことはなかった。けれども、成長するにつれ海中の様子を見たいとの思いがいつしかわいてきていたのであった。
そんなとき、徳島のおじさんにもらった小遣いでふと思いつきおもちゃのような水眼鏡をかった。そして初めて家の前の海におそるおそる首をつっこんで水中を観察したのが新たな遊びの始まりとなったのである。
海中は想像もしなかった別世界で、今でいう水族館のようなものだった。夢中になって背が立つ範囲ではあったが潜ってみると、自然に体が浮くことも知り、犬かきのような泳ぎも自然に覚えたりもした。
そして、最初に楽しかったのは海中の「小エビとの遊び」だったように記憶している。
大潮時には干潮ではひ底になり、朝夕は満潮で満々と満ちてくるのであった。
当時、幼少の私は本能的に家の前の海を遊び場としていた、おそらく先祖たちも同じことをしていたに違いない。3歳くらいから干潮の干潟を裸足で歩きまわり小さな生き物と遊んでいたのである。ところが、満潮時の水中には興味はあったが泳ぐことも知らなかったので、海中に入ったことはなかった。けれども、成長するにつれ海中の様子を見たいとの思いがいつしかわいてきていたのであった。
そんなとき、徳島のおじさんにもらった小遣いでふと思いつきおもちゃのような水眼鏡をかった。そして初めて家の前の海におそるおそる首をつっこんで水中を観察したのが新たな遊びの始まりとなったのである。
海中は想像もしなかった別世界で、今でいう水族館のようなものだった。夢中になって背が立つ範囲ではあったが潜ってみると、自然に体が浮くことも知り、犬かきのような泳ぎも自然に覚えたりもした。
そして、最初に楽しかったのは海中の「小エビとの遊び」だったように記憶している。
カナブン(黄金虫)
2020.08.28
あばら家に カナブン2匹 ぶううんぶんぶん 光彦
70年前、家庭の照明は裸電球が普通だった。今のようにエアコンなどもなかったので、夜には四方八方の窓を開け放ち涼をとるのであった。すると、灯に誘われた黄金虫が毎夜のようにやってきて電球の周りを飛び回るのであった。
70年前、家庭の照明は裸電球が普通だった。今のようにエアコンなどもなかったので、夜には四方八方の窓を開け放ち涼をとるのであった。すると、灯に誘われた黄金虫が毎夜のようにやってきて電球の周りを飛び回るのであった。
雲の峰
2020.08.28
故郷の 孤島飲み込む 雲の峰 光彦
■ふるさと橘湾には多くの無人島がある。 近くの島は緑だが遠くの島になると青みがかって見えるのだった。 そんな無人島の上に巨大な入道雲が湧くと、やがてにわか雨と雷鳴がとどろき水泳客を驚かせるのであった。
■ふるさと橘湾には多くの無人島がある。 近くの島は緑だが遠くの島になると青みがかって見えるのだった。 そんな無人島の上に巨大な入道雲が湧くと、やがてにわか雨と雷鳴がとどろき水泳客を驚かせるのであった。
土用波
2020.08.28
土用波に 揉まれ遊んだ 友いずこ 光彦
■70年前のこと、ふるさとのあこめの浜での思い出である。現代ならさぞかし遊泳禁止という状況だが昔はそういう言葉さえなかった。わいわい騒いで大波と遊ぶのがおもしろかったのである。
■70年前のこと、ふるさとのあこめの浜での思い出である。現代ならさぞかし遊泳禁止という状況だが昔はそういう言葉さえなかった。わいわい騒いで大波と遊ぶのがおもしろかったのである。
明けの明星ーⅣ
2020.08.26
蝉さりて
2020.08.26
蝉去りて 静まり返る ミュージアム 光彦
■例年通り8月も終盤になるとくまぜみはほとんど居なくなってしまった。8月の初めには松山大学の欅林で早朝から一斉に鳴いて栄華を誇っていたのだが、今朝の林は静まり返っておりあの蝉たちはどこへ行ってしまったのかと寂しさを感じたのであった。
■例年通り8月も終盤になるとくまぜみはほとんど居なくなってしまった。8月の初めには松山大学の欅林で早朝から一斉に鳴いて栄華を誇っていたのだが、今朝の林は静まり返っておりあの蝉たちはどこへ行ってしまったのかと寂しさを感じたのであった。
くまぜみの最後について
2020.08.22
■くまぜみの最後についての推察
◎状況
くまぜみの亡骸はたいてい仰向けになって地面にころがっている、しかし、樹木の真下ではなく樹木から少し離れた場所に転がっている場合が多い。 これは、樹木に止まっているときに死んだのではなく、飛び立った直後に空中で力尽きて落ちたためと観られる。
◎推察
それはいったい何を意味しているのだろうか? 長い地中生活から解放され、はじめて空中に飛び立った時はどれだけ嬉しかったことか、そして本能の赴くままに樹木に止まって高らかに「せっせっせっせ・・・・・・・・」と鳴いて恋をしていたのだからその樹木で死ぬとは予感できなかったと思われる。
それにしても、成虫の寿命はあまりにも短い、10日前後と言われているが、それは人間が勝手に観察しての話であり、くまぜみ自身は発声がままならなくなっても、未来を信じて使命に燃えながら、空中へと飛び立っていたと思われる。 そして、空中で理解できないまま次第に弱ってきて落下したのだろう。
落下した場所でまだ死ぬとは思えず、羽をばたつかせると、姿勢はいつしか仰向けになってしまう、その視線の先には青空があり太陽が眩しく輝いている、彼はもう一度あの空を飛びたいともがくのではないだろうか。
生き物は人間も含めて全て、通常は自分の未来の死期を知らないまま生きている。ただし、直前になるとああ私はここで死ぬんだと悟るのではないだろうか、
くまぜみが、樹上ではなく、最後まで未来を信じて空中で飛びながら力尽きるのは素晴らしい。
◎状況
くまぜみの亡骸はたいてい仰向けになって地面にころがっている、しかし、樹木の真下ではなく樹木から少し離れた場所に転がっている場合が多い。 これは、樹木に止まっているときに死んだのではなく、飛び立った直後に空中で力尽きて落ちたためと観られる。
◎推察
それはいったい何を意味しているのだろうか? 長い地中生活から解放され、はじめて空中に飛び立った時はどれだけ嬉しかったことか、そして本能の赴くままに樹木に止まって高らかに「せっせっせっせ・・・・・・・・」と鳴いて恋をしていたのだからその樹木で死ぬとは予感できなかったと思われる。
それにしても、成虫の寿命はあまりにも短い、10日前後と言われているが、それは人間が勝手に観察しての話であり、くまぜみ自身は発声がままならなくなっても、未来を信じて使命に燃えながら、空中へと飛び立っていたと思われる。 そして、空中で理解できないまま次第に弱ってきて落下したのだろう。
落下した場所でまだ死ぬとは思えず、羽をばたつかせると、姿勢はいつしか仰向けになってしまう、その視線の先には青空があり太陽が眩しく輝いている、彼はもう一度あの空を飛びたいともがくのではないだろうか。
生き物は人間も含めて全て、通常は自分の未来の死期を知らないまま生きている。ただし、直前になるとああ私はここで死ぬんだと悟るのではないだろうか、
くまぜみが、樹上ではなく、最後まで未来を信じて空中で飛びながら力尽きるのは素晴らしい。